2026年9月、筑波大学の柳沢正史教授が、脳内物質「オレキシン」の発見によりラスカー賞を受賞しました。このオレキシンという物質は、いま実際に使われている不眠症のお薬と、そして今年承認されたばかりのナルコレプシーのお薬へと、まっすぐつながっています。眠りの仕組みがどこまで分かってきたのか、そして睡眠薬はどう変わったのかを、順を追ってご説明します。
目次
1. 2026年、睡眠の研究にラスカー賞
ラスカー賞は、米国で最も権威のある医学研究賞のひとつです。2026年9月9日、ラスカー財団は2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史教授と、米国スタンフォード大学のEmmanuel Mignot教授に授与すると発表しました。受賞理由は、覚醒を維持する神経ペプチド「オレキシン」の発見と、オレキシンの欠乏によって過眠症・ナルコレプシーが起こることの解明です。
睡眠の基礎研究という分野が、これほど大きな学術賞の対象となったのは初めてのことです。そして重要なのは、この発見がすでに私たちの診察室に届いているという点です。不眠症のお薬としてのオレキシン受容体拮抗薬、そして2026年8月に承認されたナルコレプシーのお薬は、いずれもこの研究から生まれました。
2. オレキシンとは何をしている物質か
オレキシンは、脳の中で「起きている状態」を保つはたらきをもつ物質です。脳の視床下部〈体温や食欲、睡眠などを調整している脳の奥の部分〉にある、ごく限られた数の神経細胞だけがオレキシンをつくっています。この神経細胞が、脳全体の覚醒に関わる場所へ広く信号を送っています。
よく誤解されるのですが、オレキシンは「眠気を消す物質」ではありません。眠りと目覚めは、シーソーやスイッチのように切り替わる仕組みになっており、オレキシンはそのスイッチが「覚醒」の側で安定するように、掛け金をかけているような役割を担っています。掛け金が外れると、スイッチはぐらつき、日中でも突然眠りに落ちてしまいます。
オレキシンを受け取る側の装置をオレキシン受容体といい、1型(OX1R)と2型(OX2R)の2種類があります。眠りと目覚めの切り替えには、とくに2型が大きく関わっていると考えられています。
なお、眠りに関わる病気は不眠症だけではなく、日中の眠気が強くなるもの、睡眠中の呼吸に問題が生じるもの、体内時計がずれるものなど、いくつもの種類があります。それぞれの特徴は睡眠障害(睡眠・覚醒障害)のページで解説しています。
3. 「食欲の物質」から始まった発見の物語
柳沢教授は1998年、強い生理活性をもつ新しい神経ペプチドを脳内で発見し、その受容体が脳に特異的に存在することを世界に先駆けて報告しました。当初は睡眠ではなく食欲に関係する物質と考えられており、ラットの脳に注射すると直後にたくさん食べたことから、ギリシャ語で食欲を意味する「オレキシス」にちなんで命名されています。
転機は翌1999年でした。オレキシンをつくれないマウスをつくって観察したところ、活動しているはずの時間帯に覚醒が途切れ途切れになり、しばしば突然力が抜けて倒れ込むことが分かりました。これは人間のナルコレプシー〈日中に強い眠気が繰り返し起こる過眠症〉とよく似た状態でした。
同じ年、Mignot教授はナルコレプシーを自然に発症するイヌの家系を調べ、オレキシン受容体の遺伝子に変異があることを報告します。さらにナルコレプシーの患者さんの脳脊髄液でオレキシン濃度が著しく低下していることを示し、人間でもオレキシンの欠乏が睡眠の障害を引き起こすことが裏づけられました。マウス、イヌ、そしてヒトという三つの異なる道筋が、同じ一つの物質に行き着いたことが、この発見を決定的なものにしたのです。
4. オレキシン受容体拮抗薬はどう効くのか(図解)
オレキシン受容体拮抗薬は、眠らせる薬ではなく、覚醒を保つ信号をそっと受け取らせないようにする薬です。オレキシンが受容体に結合するのを一時的にさまたげることで、覚醒側にかかっていた掛け金が外れ、自然に眠りの側へ移りやすくなります。
左:オレキシンが受容体に結合し、覚醒の信号が送られている状態。右:お薬が受容体をふさぐことで、オレキシンが結合できず、覚醒の信号が弱まり眠りへ移りやすくなる状態。
現在使われているお薬は、1型と2型の両方の受容体をふさぐタイプで、デュアルオレキシン受容体拮抗薬と呼ばれます。「デュアル」は「二つの」という意味です。
5. 従来のベンゾジアゼピン系睡眠薬との違い
ベンゾジアゼピン系は脳全体のはたらきを抑えて眠らせる薬、オレキシン受容体拮抗薬は覚醒の信号だけを弱める薬です。この違いが、効き方にも副作用にもそのまま表れます。
仕組みの違い
ベンゾジアゼピン系や、その改良版である非ベンゾジアゼピン系〈ゾルピデム、エスゾピクロンなど〉は、脳の神経の興奮を抑えるGABA〈ギャバ〉という仕組みに作用し、脳全体を鎮める方向にはたらきます。強い眠気をつくり出せる一方で、眠りに関係のない機能まで一緒に抑えてしまうことが、副作用の背景にあります。
オレキシン受容体拮抗薬は、覚醒を保つ信号だけを選んでゆるめます。鎮めるのではなく、覚醒のアクセルから足を離すイメージに近く、依存や反跳性不眠〈やめたときに以前より眠れなくなる現象〉のリスクが少ないと考えられています。こうした特徴から、この10年ほどで不眠症治療の中心的なお薬として使われるようになりました。
メリット・デメリットの比較
効果や副作用の現れ方には個人差があります。この表は一般的な傾向を示したもので、どのお薬が適しているかは診察のうえで判断します。
ベンゾジアゼピン系が「悪い薬」というわけではありません。強い不安をともなう不眠や、短期間で確実に眠りを確保したい場面では、今も有用な選択肢です。大切なのは、目的をはっきりさせたうえで、必要な期間だけ使い、出口を一緒に考えることです。長く飲んでいる方も、自己判断で急に中止すると不眠が強く出ることがありますので、必ずご相談ください。
精神科で使われるお薬全般の考え方については、精神科の薬物療法のページでまとめています。
6. 国内で使える4つのオレキシン受容体拮抗薬
2026年9月現在、日本では4種類のオレキシン受容体拮抗薬が不眠症の治療に使えます。いずれも仕組みは同じですが、体内にとどまる時間が大きく異なり、その違いが使い分けの決め手になります。
まず「半減期」について
半減期とは、血液中のお薬の濃度が半分になるまでの時間のことです。半減期が短いお薬は翌朝に残りにくく、長いお薬は夜中から明け方まで効果が続きやすいという傾向があります。ただし半減期の長さは、効果の強さとは別のものです。また、お薬によっては濃度が急速に下がる時間帯とゆっくり下がる時間帯があり、数字をそのまま「効いている時間」と読み替えることはできません。
4つのお薬の比較
商品名は代表的なものを記載しています。ここに挙げた情報は一般的な説明であり、特定のお薬をおすすめする趣旨ではありません。用量や適否は必ず診察のうえで判断します。
どのように使い分けるか
おおまかには、翌朝の眠気をできるだけ避けたい方や、寝つきの悪さが中心の方には半減期の短いお薬、夜中や明け方に目が覚めてしまう方には半減期が長めのお薬が候補になります。ただし、朝の残りやすさは年齢、肝臓のはたらき、併用しているお薬によって変わるため、実際には飲んでみた翌日の感覚を一緒に確認しながら調整していきます。
なお、いずれのお薬も食事と同時、あるいは食べた直後に飲むと、効果が出るまでに時間がかかることが知られています。就寝直前の空腹時に服用するのが基本です。
7. 注意しておきたいこと
安全性の高いお薬とされていますが、注意点がないわけではありません。診察でよくお伝えしている点をまとめます。
- 夢が増える・悪夢 夢を見る睡眠の割合が相対的に増えるため、鮮明な夢や悪夢を自覚する方がいます。つらい場合は量の調整や別のお薬への変更を検討します。
- 金縛り(睡眠時麻痺) 目が覚めているのに体が動かない状態が一時的に起こることがあります。
- 翌朝への持ち越し 眠気や集中力の低下が翌朝以降に残ることがあるため、服用した翌日の運転や危険をともなう機械の操作は避けてください。
- 飲み合わせ 一部の抗真菌薬、抗菌薬、抗ウイルス薬などと併用できない、あるいは減量が必要になる場合があります。他院のお薬やサプリメントも含めて、服用中のものはすべてお知らせください。
- お酒との併用は避ける アルコールと一緒に飲むと作用が強く出ます。
- ナルコレプシーのある方には使えません オレキシンが不足している状態をさらに強めてしまうため、症状の悪化につながります。
8. ナルコレプシーに原因から働きかける薬が登場
オレキシン研究のもう一方の到達点が、2026年のもうひとつの大きな出来事です。不足しているオレキシンの信号を補うタイプのお薬(オレキシン2受容体作動薬)が、2026年8月24日にナルコレプシータイプ1の治療薬として国内で承認されました。一般名はオベポレクストン、商品名はオーゼイフル錠です。
これまでナルコレプシーの治療は、眠気そのものを抑える対症的なものが中心でした。今回のお薬は、日中の強い眠気や、感情の高まりで力が抜ける発作といった症状の改善が国際的な臨床試験で示されており、発症の原因に働きかける薬として日本で初めて承認されたものです。主な副作用として、不眠、尿意切迫、頻尿、唾液が多く出ることなどが報告されています。
1998年の一つの発見が、片方では「オレキシンをふさぐ薬」となって不眠症の治療を変え、もう片方では「オレキシンを補う薬」となって過眠症の治療を変えた——研究の広がりとして、稀なことだと思います。
日中の強い眠気が続く方へ。「夜きちんと寝ているのに眠い」「会話中や食事中に眠ってしまう」「笑ったときに力が抜ける」といった症状がある場合、単なる寝不足や気分の落ち込みではなく、治療の対象となる過眠症が隠れていることがあります。確定診断には専門的な睡眠検査が必要ですので、当院では必要に応じて検査可能な医療機関と連携しながら進めます。
9. 薬と並行して大切にしたい生活の工夫
不眠症の治療は、お薬を始める前と始めた後のどちらでも、生活の整え方が土台になります。日本のガイドラインでも、薬物療法の前に、症状の把握、治療の要否の判断、睡眠衛生の指導、リスクの評価という段階を踏むことが示されています。
- 起きる時刻を一定にする(寝る時刻より起きる時刻を先に決める)
- 朝に光を浴びる。神楽坂周辺なら、出勤前に少し遠回りして歩くだけでも変わります
- 夕方以降のカフェイン、就寝前のアルコールと喫煙を控える
- 眠れないまま寝床で過ごし続けない。いったん寝床を出て、眠くなってから戻る
- 日中に体を動かす。就寝直前の激しい運動は避ける
「何時間眠れば十分か」は人によって異なり、短い睡眠時間で足りる体質を訓練で身につけることはできません。この点はショートスリーパーは生まれつき?訓練でなれる?で詳しく解説していますので、睡眠時間を削っている自覚のある方はあわせてご覧ください。
また、不眠の背景に、うつ病、不安症、睡眠時無呼吸、むずむず脚症候群、痛みやかゆみ、夜間の頻尿などが隠れていることも少なくありません。「眠れない」という訴えの原因を確かめることが、結果的にいちばんの近道になります。
10. よくあるご質問
Q. オレキシン受容体拮抗薬は、飲み続けても大丈夫ですか。
依存が形成されるリスクは少ないとされていますが、どのお薬であっても漫然と続けることは勧められません。症状が落ち着いてきたら、続ける必要があるかどうかを定期的に見直し、減量や終了のタイミングを一緒に検討します。
Q. 飲んでも効いている感じがしません。効果が弱い薬なのでしょうか。
このタイプのお薬は、強制的に眠らせるのではなく自然な眠りへ移りやすくするため、「効いた感じ」が分かりにくいことがあります。実際には数日から2週間ほどかけて睡眠が整っていくことも多く、初日だけで判断せずご相談ください。食後すぐに服用していると効果の発現が遅れる点も、確認したいところです。
Q. 長く飲んでいるベンゾジアゼピン系の睡眠薬から切り替えられますか。
切り替えは可能ですが、急に中止すると不眠や不安が一時的に強まることがあります。週単位でゆっくり減らしながら移行するのが原則です。自己判断での中断は避け、計画を立てて進めましょう。
Q. 悪夢を見るようになりました。やめたほうがよいですか。
自己判断で中止せず、まずご相談ください。量を減らす、別のオレキシン受容体拮抗薬に変更する、他の種類のお薬を検討するなど、対応の選択肢があります。
Q. 睡眠薬を飲むほどではない気がします。受診の目安はありますか。
不眠が1か月以上続いている場合、または期間が短くても日中の生活に支障が出ている場合は、一度ご相談いただくとよいでしょう。受診が必ずしも服薬につながるわけではなく、生活の整え方や背景の確認だけで改善することもあります。
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- 睡眠障害(睡眠・覚醒障害)
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必要な睡眠時間の個人差と、睡眠時間を削ることのリスクについて。 - 精神科の薬物療法
お薬の種類と考え方、始め方と終わり方の基本を解説しています。 - うつ病
不眠が最初のサインとして現れることがあります。気分の落ち込みが続く場合はこちらもご覧ください。
眠りのことでお困りの方へ
神楽坂メンタルクリニックでは、不眠の背景を確認したうえで、生活の工夫とお薬の両面からご相談に応じています。神楽坂駅1b出口より徒歩1分以内です。
ご予約はこちら(オンライン予約)つらさが強く、すぐに話を聞いてほしいときは「こころの健康相談統一ダイヤル」(0570-064-556)もご利用いただけます。
参考文献
- 筑波大学 TSUKUBA JOURNAL「2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞」https://www.tsukuba.ac.jp/journal/awards/20260909210000.html
- 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構「柳沢 正史」https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/japanese/research/member/detail/masashiyanagisawa/
- ベルソムラ錠 添付文書(日本医薬情報センター)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00066563.pdf
- デエビゴ錠 添付文書(日本医薬情報センター)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00068463.pdf
- クービビック錠 添付文書(医薬品医療機器総合機構)https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/150923_1190033F1028_1_03
- ボルズィ錠 添付文書(医薬品医療機器総合機構)https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/400059_1190034F1022_1_01
- 日本薬理学雑誌「新規オレキシン受容体拮抗薬ボルノレキサントの薬理学的特徴と臨床試験成績」https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/161/3/161_25096/_html/-char/ja
- 日本睡眠学会「睡眠医療ネクサス」オレキシン受容体拮抗薬(2025年12月号)https://jssr.jp/files/nexus/20251225-05.pdf
- 厚生労働科学研究班・日本睡眠学会「睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン」https://www.jssr.jp/data/pdf/suiminyaku-guideline.pdf
- 武田薬品工業「oveporexton(TAK-861)の日本における製造販売承認申請について」https://www.takeda.com/jp/newsroom/local-newsreleases/2026/oveporexton-jp-nda/
- Medical Tribune「ナルコレプシータイプ1治療薬オベポレクストンが承認」https://medical-tribune.co.jp/rensai/articles/?blogid=11&entryid=611953
※本記事は一般的な医学情報の提供を目的としたものであり、診断や特定の治療を推奨するものではありません。効果や副作用の現れ方には個人差があります。治療方針は診察のうえで個別に判断します。
※記載内容は2026年9月時点の情報に基づいています。
【監修・執筆】永井常高(神楽坂メンタルクリニック院長・精神保健指定医・精神科専門医/指導医)
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